22歳”人生どん底”だったので、遺書を書きました。
毎日、寝ることだけが唯一の現実逃避。
朝が空けるたびに、ただ憂鬱で。
それでも生きていかなくちゃいけなくて。
ただ一つ、生きていることを感じることができたのは。
会社の昼休憩に。
ただ、無情に広がる景色を見て。
そこに飛び込めない自分に気がついた時でした。
たかちです。
たまには詩人っぽく参入してみます。(笑)
今でこそ、お茶漬けと納豆を食べることさえできれば、十分に幸せを堪能できる生活をしていますが。
数年前までは。
- 20時間仕事詰め。
- 対人恐怖症。
- 不眠症。
- やりたいことがやれない生活。
- 借金100万円。
などなど、世間一般的に言ってみれば、完全に人生詰んだ状態の人間でした。
子供の時でさえ。
- 両親の離婚。
- いじめ。
- 親の不倫。
- 家庭内DV【言葉】。
とまぁ、ろくに人らしい生活をさせてもらったことがないのに。
神様はいつまで僕に試練を与えてくれるのでしょうか?(笑)。
多分神様がいたらね。
さすがに不平等すぎやろがww
って、便所スリッパで思いっきり叩いてやりたい、です。
僕の人生がどれほどどん底だったかということを、子供の時代から全て述べると、短編小説が1冊出来上がりそうな勢いなので。
今回のブログでは、暗黒の大人時代をメインに紹介していきます。
- 自分以上に社会に不満を持っていて。
- 自分以上に不幸な人は存在していない。
そんな風に毎日悲しんで、朝を迎えている人にとっては、少しは光が見えるような話ができます。
今回のブログを、不安な時に読み返してみれば。
- 1人だけで悩んでしまう。
- お金がなくて辛い。
- 対人関係で萎えている。
といった不安をたったの数分間で、全て解消することができます。
そんな悩みを持つ人だけ、このブログを読んでみてください。
大手企業と音楽の平行生活。
僕は初めて社会人として仕事をしていた企業は、いわゆる1部上場企業というテレビのコマーシャルでもよく出ている会社でした。
もちろん今現在でも、その会社のロゴが入った車が街中を走っているので、懐かしい気分になります。
そこで僕は、研究開発の仕事。
めっちゃ自慢したい話ですけど、早稲田とか慶応とか東大生とか。
そういう類の人しかいないような職場に、入ることができました(笑)。
まぁ、それなりに学生時代に勉強はしてましたからねー。
ただ、これが物凄い悪循環の原因になってしまいます。
給料は確かに良かったんですが、いかんせん、僕はアーティストとしての活動をしたくて、その企業を選んだんです。
アーティストとして活動していくには、とにかくお金が必要ということを知っていたので、安定して稼ぐことが出来る職場をなんとか勝ち取ったんです。
が。
社会人になってみると、。
出張出張出張出張出張出張出張出張。
1年間で色んな県に飛ばされていたので、大好きだった音楽活動も全く出来ない状態でした。
特にその当時はアーティストとして成功するためには、とにかくライブで集客しなくてはなりませんでした。
このライブの集客というのがとても難しくて。
出張族だった僕は、たいして演奏が上手くもないような、駆け出しのアーティストに常に負けている状態でした。
それでも技術力だけを武器に戦っていると、僕が所属していたレーベルから。
全国リリースでCDを出してみないか?
という話を振っていただけることになりました。
もちろん、子供の頃からずっと憧れていた夢です。
張り切ってCDリリースのために、寝る時間を心で制作もしました。
そして、無事セールス数もかなり伸びた作品になり、日本一の記録も叩き出すことができました。
まぁ、これが。
地獄の始まりだったんですが(笑)。
某大物アーティストと揉める(物理的に)
自分がCDをリリースしたことによって、音楽業界についてちゃんと正しい知識を持っていなかった僕は。
ある日、大物アーティストと、もめてしまう事になりました。
揉めるっていうのは口論で揉めるっていうわけではないですよ(・▽・)?(笑)。
文字通りの意味で。
一方的に殴られるという。
褒め方です( ^◡^)っ✂。
もちろんその人は、僕がやっていた音楽のジャンルでは大御所とも呼ばれるような人だったので。
反抗することなど一切許されませんでした。
そして一方的に殴られた挙句、最後に言われた一言が。
「次、俺の前に現れたら殺してやる」。
との言葉です。
いやいやいやいやいやいやいやいや!!
今めっちゃ作品も売れてて、県外でのライブ出演もめっちゃ増えてる時ですよ?(笑)。
会わない方が無理があります(ヾノ・∀・`)。
とのことで、めちゃくちゃ大問題になりました。
そして、所属しているレーベルの人からどう対策すればいいのかを聞いてみると。。。。
「相手が電話に出なくてもいいから、毎日電話をかけて」
という無理難題の課題でした。
もちろんですが、CDが1本売れたからといって、それだけで食っていけるという業界ではありません。
出張という、サラリーマン的な仕事もこなしながら、帰宅したら「殺す」と言ってきた相手に電話をしなくてはならない。
もう毎日、家【ネカフェ(出張中のため)】に帰ったら、手は汗でビチャビチャに。
頼む、電話に出ないでくれ!!
そんな風に祈りながら、1日、1回だけ電話をかけていました。
たったの20秒ほどでしたが。
あれほどに長いと思った時間はありませんねヾ(*´∀`*)。
まぁ、お陰様で、
完全に着信恐怖症になりましたよ?(笑)
ちなみに、それは今でも若干残っています( ´-ω-)σ。
結局1週間ほど毎日電話をかけて、
ちょうど1週間経ったぐらいの時に電話に出てました。
そして。。。。
「二度と俺の前に現れるな!地元に帰ってこれると思うなよ?」。
とのことです。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!。
おれ、地元に帰れんのん(*´▽`*)♬*゜?(笑)。
ということで、ここから、地元に帰っても素顔で歩けない生活が始まりました。
大手企業をやめるという選択。
なんとか電話で謝ることはできましたが、それから先、アーティストとしての活動は完全に振り出しに戻ることになりました。
そりゃそうですよ。
僕が所属しているレーベルの人も、僕をなんとか助けようとしてくれているけれど、今すぐに何とかできる問題ではなかったですから。
それだけ、問題を起こしてはならない相手と、僕は揉めてしまいました。
毎日毎日が完全に地獄でした。
アーティストとして描いていた夢が、完全に無くなろうとしていました。
自分が何とかしなくてはならない問題なのに。
自分では何もすることができない。
約5年間の、死ぬ気で重ねてきた、勉強のおかげで、入れた大手企業での仕事もなかなか手につかない。
常にポケットに入れているスマホから鳴る着信音に怯えつつ。
この頃は毎日の日課が。
昼休憩になったら出張先の事業所で。
本当は入っちゃいけない屋上で、柵を越えて。
地面を見るということでした。
あれですよ、あれ。
いわゆるタマヒュンってやつです。
でもねー。
本気で死ぬかどうか迷っている時って。
タマヒュンなんて起こんないんですよ(笑)。
ただただ、自分の惨めさを感じるだけ。
本当にただ、それだけが悔いだと感じて。
結局飛べずに、また仕事に戻る。
そんな毎日を送っていました。(ps飛び降りる直前の写真は残ってませんでした。あまりに記憶に強く焼きついており、撮影たと感違いしてました)
まぁ、そんな僕にもやっとこさ。
チャンス【絶望】ってやつが巡ってきます。
なんと。
某大物アーティストとの問題が少しだけ解決してきたんです。
まあ、それもそのはずですよ?。
だって。
「次、であったら殺してやる」。
そんな風に毎回電話で、言ってくる相手に対して。
「それでも音楽はやめません(`・ω・´)」
ということを一貫し続けて言っていたので(笑)。
我ながら、意地だけはあったんですねー。
まあ、そういう覚悟を見せつけていると、相手も見る目を変えてくれたんでしょうね?
いつもと、ちょっと変わった電話がきたんです。
「今度、うちのライブに来いよ?」
\('ᴗ’ )>??。
あれ、俺聞き間違えたかな?
っていうか、これ完全に。
「集団で、俺、殺されるやつや(б∀б)」。
とういうことで、ここらへんから、本気で悩み始めます。
「音楽をやめるか?それとも、仕事を辞めるか?」
まあ、本当はどっちを選ぶかに悩んでいたんじゃないんです。
「こんなホワイト企業辞めたくない」
ということで、社会人になって初めて、悔しすぎて泣いたのが、この時です(´∀’)。
「5年間友達と遊ぶこともゲームをすることも放置して勉強してきて、やっと掴んだ、企業を」
たったの数年で辞めなくてはならない。
正直言うと、確かに出張は多かったんですが、土日と祝日は完全に休みだし。
1回出張に行くと、毎月10万円ほど手当てが出ていたので、めちゃくちゃおいしい仕事だったんです。
もちろん給料もどんどん伸びていったので、22才頃には、一回のボーナスで7桁【ブロガー風】はもらえていました。
そんな仕事を辞めなくては、アーティスト活動が続けられない。
ということで、めちゃくちゃ泣きました。
と同時にですが。
書きました。
遺書です♬︎♡
当時22歳です。
まあ、冷静に考えてもらったらわかるんですけど。
殺すと言ってきたような相手【正しく言うと集団組織】と、たった1人で出会うんです。
当時はネットでめっちゃ見てましたよー。
防弾防刃チョッキシリーズ。
ナイフで刺されて何とか生き残るなら、これかな~。
って感じで、我ながら必死に生き延びる術を考えていました。
【結局、買っても複数箇所刺されたら意味ないね。って事で、買いませんでした】
そして、運命の日がやってきます。
某大物アーティストのライブに単独で乗り込んできました。
んで、何が驚きだったのかというと。
意外に相手は、武装していることもなく、
ただ、ライブのお手伝いをしたら。
普通に帰らせてくれたことだったんです。
いやいやいやいやいやいや!!
俺の悩みって何だったん??
これほどにまで、拍子抜けしたことはありません。
が、
それ以上に、毎日死のうと思っていた僕を奮い立たせてくれたのが。
地元帰る時に乗った新幹線でひたすらに書き綴った、。
人生の後悔ノートです。
いや、今でも懐かしいんですけれど。
地元に帰る新幹線の中、ひたすらにスマホで、後悔をすべて書き述べてましたね。
そのおかげで、僕は吹っ切れることができました。
絶対に某大物アーティストを見返してやると!!
まあ、この考えが原因で、さらなる地獄に突入してしまうことになるとは想像もしていませんでした。
転職して地元に帰る。
これまた上司に恐る恐る電話をして、転職をする手続きをしてから、時間はあっという間に過ぎていきました。
僕はアーティスト活動をしていたことを、職場で誰にも話をしていなかったので、身内の都合で地元に帰らなくてはならないということで話を進めました。
そうすると泣いちゃうんですよね。
僕の周りの上司が。
全く役に立たないと思っていた自分でしたが、こんな風に自分のことを思ってくれる人がいるんだなぁって。
凄く感じました。
【申し訳ないですが、僕は嘘をついているので、泣くこともできませんでした】
まぁ、完全なクソ野郎でした。
とういうことで、地元に帰った僕は、そこから毎日音楽のために人生の全てをかけるという、大博打をしました。
そして、成し遂げたんです。
某大物アーティストがいるライブで、その人よりもたくさんの人を集客するという偉業を。
たったの1年間で、これほどにまで伸びた人はいなかったので、某大物アーティストも驚いていました。
と同時に僕も驚きました。
何がって??
ライブでたくさんの人を集客しても、全く稼げないということに気がついたからです。
ちなみに約1年間ほどですが、毎日外出のために1500円ほどをかけて、集客活動をしていました。
んでんで、ちゃんと時給について調べてみたんです。
そしたらなんと。
時給マイナス64円。
( ´ ▽ ` )。
え?。
私の時給低すぎ(^ω^;);););)。
いやいや、減りすぎて、0振り切ってますやん(((;°▽°))。
ということで、人生の全てをかけて取り組んだ音楽で、僕は完全に挫折しました。
大手企業での社会的地位をなくし。
税金を支払うよりも、音楽に優先して金を使い。
残ったのは借金。
これを失敗と言わず、なんというんでしょうか?(笑)。
偉業を成し遂げたのにも関わらず、生活はなんにも変わらない!!
いやいや、むしろ苦しくなっとるやん!!
ってことで、人生には誤った道が確かにあるということを学びました。
ただし、学んだだけでは何も解決しません。
この世は無常です( ◠‿◠ )。
ということで、時給が高い仕事を探し始めることになります。
(まだまだ闇は続きます)。
工場の二交代勤務を経験する。
ここまで来た僕は、転職を生半端に繰り返してきただけに、改善に社会不適合者です。
もともと、一部上場企業にいたということも、面接では一切役にたちません。
そんな僕でも唯一、そこそこの時給で働くことができたのが、工場での仕事でした。
人生初の二交代勤務を行なうと、毎月27万円くらいは手取り金額で入ってくるようになりました。
ちなみに、期間工ではなく、登録型の派遣の仕事で、マツダの下請けの会社でした。
が、給料は比較的たかく、それなりに仕事もこなせたので割と充実した毎日でした
(ps音楽活動で構築した人脈を利用して、Amwayをやりかけたのがこの頃です笑)。
↑完全にクソ野郎です。。
が。。。。
そんな頃に、また悪いニュースが入ってくるんですね〜。
当時、25歳だった僕は、同じ登録型の派遣(別会社)で働く子と休憩時間に話をしたんです。
ちなみに彼がやっている仕事は、自動車免許さえあれば、だれでもできる仕事で、僕でもやれる仕事でした。
だから、自慢げに時給を語ったんですよ。
「俺は、時給1250円だけど〜」。
そしたら、驚かれました。
「え!!◯◯さん、そんなに時給低いんですか??」。
。。。。。
「は?」
「僕は、親の紹介で登録した派遣で、時給は1600円ですよ」。
「ちなみに通勤はバイクですが、車通勤(アメ車)で登録してるから、駐車場代(5万円)が毎月もらえます」。
「だから、正社員の人より年収高くなるんで、一切正社員になる気はありません」。
「というか、お爺ちゃんの退職金(1億円)で、親が土地を買ったんで、親がそのマンションのローンを完済したら、僕は仕事やめて海外で遊んで暮らします」。
(゜д゜)。。。。。。
もう、僕は開いた口が塞がりませんでした。
これほどまでに。
屈辱的なことがあるでしょうか?
誰か、あるなら教えてください。笑。
自分の方が長時間働いているし、責任感も難易度も高い仕事をしているのに。。。。
大したことをしてない、彼の方が給料がたかい。
こんなに、人生をかけていろんな取り組みをしたのに。。。。。
産まれの違いで、こんなに生活が変わるのか?
と。。
そして、僕は決めました。
よし。。
工場の仕事は辞めよう。
貯金も貯まったし、稼げるっぽい情報を買ったので、それで一発勝負しよう。
まさに、負のループとはこのことですね。笑。
そこで、僕は、さらに地獄へと向かうことになります。
やってもやっても稼げないループ。
ということで、速攻退職届を書いた僕は、一刻も早くブログで稼ぐために、情報商材を活用してブログを立ち上げます。
もちろん、貯金を切り崩しての生活だったので、一刻も早く稼げるようにならなくてはなりません。
そのため寝る魔を惜しんで、ブログをとにかく必死にかいていたのですが。
これが一行に稼げない笑。
毎日毎日、スタバに行ってブログを書くんですが。
一行に稼げない。。。゚(´;ω;`)
最終的に、ブログは完全に諦めて、攻略のために実践したゲームにどハマりして。
ゲームをしつつ、貯金を切り崩す生活を送っていました。
毎日、Youtubeとゲームしか、しない日になっていましたね(笑)。
この頃の僕は、
もう何をやってもどうしようもないな。
って状態でしたね。
しかも、結婚したい彼女と半同棲を開始して、生活費のためにキャッシングで更に50万円ほどお金を借りていたので。。。。
彼女に内緒で、借金を作っていました。
完全にクソ野郎でした。
そんな僕も、ついに失業保険がなくなってしまい、来月から生活がやばくなるレベルに突入しそうになり。
ついに。
期間工にエントリーすることにしました。
正確には、ダメな自分を立て直すってことと。
もう、やってもやっても稼げない生活は嫌だ!!
という気持ちで、エントリーしたんです。
やっと活路が見え出した。
もう、何をしてもダメだと思った僕は、頼るものは一つしかありませんでした。
それが、ずっと前から知っていた期間工でした。
借金もあったし、何より、生活費を稼いで、将来的に安定したいと思ったんです。
この頃の僕は、完全に自由な生活なんか諦めて、正社員を目指すことしか考えていませんでした。
やっぱり非正規の雇用のまま、結婚したい人の親に会うのはどうしても、自分的に許せなかったんです。
それから毎日、期間工という仕事をこなして、
仕事が終わったら、後はくたくたになって寝るしかできない生活を3ヶ月ほど送りました。
もちろんですが、正社員になる気満々だったので、正社員の人がやっている仕事を抜くつもりで、毎日仕事をしていました。
そうすると、楽しくて仕方がなかったんですね。
だって、自分の知識さえ使えば十数年やってきた、正社員の人達よりも早く仕事ができたんですから。
目に見えて、自分のやっている仕事が日に日に早くなっているのが、とにかく楽しかったです。
それと、もう一つ、僕が入ったマツダの職場のメンバーが素晴らし過ぎました。
作業しつつ、寝落ちしても、突っ込みで終わったり。
班長も正社員の人も、毎日ふざけて、笑わせてくれたり。
とにかく、久々の当たりの職場でした。
そして3ヶ月も経ったあと、ある変化に気がつきました。
それが、将来のことを考えてクヨクヨ悩むことがなくなったということです。
期間工をやり始めた当初は、毎日聞いていた音声があって。
多分知ってる人は知っている本で、デール・カーネギーの「道は開ける」
というオーディブルの音声でした。
今になって思えば、完全な洗脳に近い形の自己啓発の本でしたが、毎日が不安で不安で仕方がないという人たちは、こちらの本を読んでみることをお勧めします。
冷静に考えてみると、金銭的なハンデと社会的地位に自信がなかったため、それが故に、僕は悩み続けていたんです。
ところが、期間工をしていると、それなりに会社でも評価してもらうことができたし、安定して高い給料をもらうことができました。
ということで、期間工を初めてから3ヶ月ほどで、会社の就業規則にはやってはならないと書いてあった。
副業をバリバリこなすようになりました。(笑)
ちなみに会社の就業規定に副業がダメと書いてある理由は、副業で仕事に支障が出る人をなくすためです。
なので、副業をしても仕事に支障が出ない人は、バリバリやってもいいと個人的に思います。
【社会的には認められていないので、絶対に公言はしないように】。
そのおかげもあってか、今までかけていた、すべての無駄な時間を突破らって。
改めてアーティスト活動を再開して、半年ちょっと経った頃に、自分の作品を売ることで生計が立てられるほどに生活が変わりました。
そこから先は並行して、動画編集の仕事を頂いたり、最近はプログラミングの仕事もちょこちょこ舞い込むようになっております。
エピローグ。
僕が、そもそも人生がなぜどん底に感じていたのかというと。
- やりたいことを、何度やっても失敗する自分は駄目と思っていた。
- かっこつけて、エリート街道を外れてうまくいかない自分は才能がないと思っていた。
- 人に迷惑ばかりをかけている自分は生きている価値がないと思っていた。
- 金ばっかりかけてちゃんと現実を見ない自分はダメだと思っていた。
- 借金を抱える自分は悪いと思っていた。
とまぁ、いちいち失敗する事に、自分を責めすぎていたんですねー(*゚∀゚)=3。
それと同時に、別に何かをするわけでもないのに、時間がたくさんあったことも原因でした。
仕事がないくせに、ゲームばっかりしていた頃は、
働かなくちゃいけないのに、なんにもしてない自分はダメなやつだ。
本当は今すぐにでも稼げる人にならないといけないのに、稼ぐための行動もできていない自分はダメだ。
結婚しようとしている彼女がいて、その彼女にも独立しようとしていることを認めてもらったのに、行動することができない。
そして最終的に残ったのは多額の借金だけ。
ということで、自己嫌悪の毎日でした。
そもそもの原因は、何もしない時間を作ってしまったことが一つの失敗でしたね。
いきなり
期間工をやってみろ!!人生変わるから!!
なんてことは言いませんけれど。
人生がどん底で、将来は絶対に明るくならない。
そんな風に考えている時点で、時間を持て余らせすぎていたんですね。
皆さんには間違っても、僕のように遺書を書いたり、何度か本気で自殺しようとしてみたり。
そんな風には、なってほしくないんです。
別に今お金がなくてもいいんですよ。
今の時代、丈夫に動く体か、ちょっとした知識があるか。
いずれかのうち、一つがあるだけで、お金なんて稼げるようになるんですから。
それともう一つ。
別に失敗なんてしてもいいんですよ。
社会から拒絶されまくったっていいんですよ。
人生がどん底になるくらい毎日を頑張って必死に生きているのに、
そんなあなたを認めてくれない社会では、頑張らなくてもいいんです。
僕は十分に夢からも逃げました。
あんなに大好きだった音楽が、僕にとっては完全なる苦痛にもなっていました。
だけど、それでも生きていけば何とかなるもんなんですよ。
ただ、もしも今、毎日が人生のどん底だと感じているのならば。
僕は過去の自分にこう伝えてあげます。
体がボロボロになるまで仕事をしろ!!(笑)。
ただし、将来の保険がきく、新しい環境でな(`・ω・´)!!
最終的に人生はどん底しかないと思っていた僕ですが、今となっては、再び好きになった音楽と動画編集、さらにはプログラミングなど。
自力で稼ぐ力が身についたので、音楽でやった失敗は全て取り戻すことができました。
ちなみに借金を隠して結婚したいと思っていた彼女とは、無事結婚をすることができました。
100人中100人が、僕と同じような人生を歩めるとは思いません。
だって、いつも決まって、イバラの道を選んで進んできましたから(笑)。
こんな目に見えてバカげた選択は、皆さんはしない方がいいです。
まぁ。
多分僕は、何度人生をやり直したとしても、。
また、同じイバラの道を進む人生を選んでいきますが(笑)
もしもまた、人生に疲れた時があれば、このブログをぜひ何度も読んでみてください。
多分ですが。
まだ、ここまで人生落ち込んではいないと、自分に自信を取り戻すことができると思うので(笑)。
ちなみに、仕事なんてのは、星の数ほどあるので、死にたくなるような仕事は、さっさと辞めちゃいましょう。(将来を考えた上で、仕事を選べばなんとかなります)
それでは、ご愛読ありがとうございました。